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2007年12月 アーカイブ

2007年12月13日

神女体制のこと


大変興味があります。
神女体制のまじめな話。実は知らないことばっかりでした。

琉球王国は、第二尚氏王朝の尚真王の治世に、琉球の宗教と統治機構を一体化した祭政一致体制を確立した。ノロという神職名はそのときに制定されたものだが、祭祀制度そのものはそのとき初めて制定されたものではなく、以前から各地域に女司祭がおり、各地域の祭祀を司っていたと考えられている。王国はすでにあったこれらを整備し、中央集権的に階層化したのである。これら神職者は総称として便宜上「神女」と通称される。なお、ノロにあたる女司祭を八重山では「ツカサ(司:「神」と同義)」と呼称する。

全国のノロの頂点にあるのが聞得大君だった(聞得大君は「最も名高い君」という意味)。聞得大君は琉球国王を守護する国王のおなり神であり、王国を守護し豊穣をもたらす神とされた。王国の黎明期には国王を託宣により任命するなど実質的に国王以上の権限を持っていたが、これは尚真王の時代に改められている。聞得大君は首里城内の10の御嶽と斎場御嶽を掌管し全国のノロたちを支配していたが、ノロへの任命辞令は国王から発せられていた。これは制度的にはあくまで国王が神女組織を支配していたことを示すものと考えられている。

聞得大君の下には、阿応理屋恵(あおりやへ)、差笠(さすかさ)などの「君」や、首里の三間切(三平等:みふぃらと呼ばれた)をそれぞれ掌管する3人の「大阿母志良礼(おおあもしられ)」がおり、その下に各地方を統括する「大阿母」たち、さらにその下に各地域の祭祀を管轄する「祝女」を配するヒエラルキーを形成していた。なお、高級神女たちを総じて「三十三君」と呼んでいた。そのほとんどは首里に在住し、王家となんらかの血縁関係にあったと考えられている。

当時のノロは領地を認められた一種の地方大名だった。また、犯罪などの問題があった場合に、一種の神聖裁判を行った記録もあり、信仰を背景に地域自治にも大きな権能を有していたことが推察される。

この神女体制は17世紀中ごろ形骸化し、ほとんどの高級神女職は1600年間に廃職された。しかしその後も各地域のノロ職は存続を続け、多くが現在まで各地域に残っている。

なお、聞得大君職は王国滅亡後も長く存続し、太平洋戦争中の1944年に就任した第18代・思戸金翁主を最後に、大戦後に廃職となっている。現在、三十三君にあたる高級神女では、久米島の君南風(チンペー)職が久米島最高位の祝女として存続している。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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